言い伝え・伝承

実は恐ろしい場所だった!公開処刑が行われた三条大橋の悲劇

京都の三条大橋

観光客でにぎわう京都市の中心部、鴨川にかかる三条大橋。

古い景観の建物など雰囲気を残しつつカフェなどオシャレなお店もあり、今でこそ綺麗で明るい雰囲気の三条大橋付近ですが・・

時代をさかのぼってみればそれはそれはとんでもなく恐ろしい、血塗られた歴史が存在している地なのです。

三条大橋は都の中心部・玄関口


京都市の中心部、鴨川にかかる三条大橋。
現在は観光のスタート地点とされ、たくさんの人で賑わいをみせています。

三条大橋付近は東海道五十三次の西の起点であり、京都の玄関口とされ古い時代にもたくさんの人々が行き交う地でした。

いつからここに橋があるかは不明ですが、室町時代には簡易的な作りのものがあり、豊臣秀吉による都市改造の際に現在の橋の原型となるような本格的な大橋が造られました。


現存の橋は昭和25年に改修されたもの。
木造で京都らしい趣が感じられる造りですよね。

老朽化が進みつつあるため、改修の計画があるようです。

今も刀傷が残る擬宝朱

三条大橋の擬宝朱
三条大橋の擬宝朱
出典元:Wikipediaさん

三条大橋といえば、歴史ファンの間で有名な「擬宝朱の刀傷」が見られる場所です。

擬宝朱(ぎぼし)とは橋の途中途中にある柱の上についているネギ坊主のような形の装飾品のこと。

三条大橋のものは橋の造り替えの度に外され、新しい橋に付け替えられている・・という歴史あるものです。
(新しいものもいくつかあります)

そしてこの三条大橋の擬宝朱には、新選組による池田屋事件の乱闘の際につけられた傷がついたものがあり、今でも傷跡を確認することができます。
(橋の南側・西から2つめの擬宝朱の刀傷が見つけやすいとの情報あり)

京ギツネ

三条大橋を訪れた際は是非チェックしてみて!



三条大橋はかつて大規模な処刑場だった


かつて三条大橋付近の河原には大規模な処刑場がありました。

名だたる武士・罪人がこの地で処刑されました。
また、遠方で処刑された武士の首もわざわざここまで運び、多くの人々が行き交うこの地でさらし首にされました。

新選組局長・近藤勇が板橋の処刑場で斬首されたのち、三条大橋でさらし首となったのは有名です。

近藤勇のさらし首の図
近藤勇のさらし首


その他にも石川五右衛門が釜茹での刑(油が煮えたぎる大きな釜に生きたまま放り込まれる)にされたり、石田三成や平将門もここでさらし首にされました。

平将門の首は怨念のためここから東京の千代田区まで飛んで行ったと言われています。


また、鴨川は平安京の洛外にありました。

当時は平安京の中心部である洛中が人間界であり洛外は妖怪が棲む魔界である、と信じられていました。

飢饉や疫病など災害でたくさんの人々が亡くなった際、死体の処理に困った人々は魔界である鴨川に投げ捨てたそう。
鴨川にはたくさんの死体が山積みになりました。

京ギツネ

死体の捨て場、公開処刑場・・
かつての三条大橋付近はなんとも血なまぐさい場所だったわけだな


三条大橋・駒姫の悲劇


三条大橋で行われた公開処刑でとても有名なものがあります。

それが豊臣秀吉の甥である、豊臣秀次一族の公開処刑。

秀吉の息子(鶴松)が3歳で亡くなり、跡継ぎがいなくなって困った秀吉は甥の秀次に関白の地位を譲り豊臣家を継がせました。

秀吉は子宝に恵まれなかったことで有名です。

が、その翌年、秀吉の元にふたたび男児が誕生しました。
なんとしてでも我が子に豊臣家を継がせたい秀吉は、秀次に謀反の濡れ衣を着せて切腹を命じたうえ、秀次一族を皆殺しにするのです。

正室や側室、子どもや幼児も容赦せず、実に30人以上が非道の公開処刑で命を落としました。

三条河原は血に染まったと言われます。


その秀次の一族処刑の中でも一段と哀れで悲劇の死を遂げた人物がいます。

山形藩の初代藩主・最上義光(もがみよしあき・伊達政宗の伯父)の次女、駒姫です。

駒姫
駒姫像


東国一の美少女と言われた駒姫の評判は遠く京都まで届いていました。

そして秀次が山形城に立ち寄った際、駒姫のあまりの美しさに魅了され側室に出すよう要求しました。

駒姫はその当時まだ11歳であったこともあり義光は要求を断りますが、関白という権力を持った秀次にしつこく頼まれ断り切れず、駒姫が15歳になったら京都へ送ることを約束をします。

そして駒姫が15歳になり京都へ出向いた矢先、秀次に切腹が命じられます。

京都に着いたばかりでまだ側室の手続きも済ませず、正式な側室ではなかった駒姫。

さすがに駒姫まで公開処刑とするのはあまりに酷いのではないか、という声が周りから多数上がり、秀吉の妻・淀殿も駒姫の助命を願い出ました。

秀吉もいよいよ無視できなくなり、駒姫の処刑を行わぬよう三条大橋まで馬を走らせますが、一歩遅く、駒姫は処刑された後でした。

京ギツネ

秀吉による秀次一族への非道な公開処刑は豊臣家の滅亡に大きく関わったとされ、秀吉の晩年最大の失策と言われているぞ


現在の三条大橋は観光・デートスポット


現在の三条大橋付近は整備され、凄惨さ極まる歴史の面影はありません。

観光スポットとしてにぎわい、夏には川沿いの飲食店は京都名物である納涼床・川床を出し、夏の風物詩のひとつとなっています。

三条大橋

この付近では、なぜかカップルが一定間隔で河原に座ることが有名です。

ひとつの説によると、カップルは無意識のうちに数々の亡霊を避けて間隔をあけて座っている、とされ、つまりカップルがいない場所には亡霊がうじゃうじゃいるとか・・

”視える”人によればこの付近はとんでもない光景のようです。

ちなみに、「ここでデートすると怨霊の祟りにより別れる」という都市伝説があります。
逆に、「ここでデートするとその後うまくいく」との噂もあります。

いったいどっちなんでしょう(笑)

もしかするとお隣になった幽霊次第で変わるのかもしれませんね・・?

秀次の死の真相は??


秀次の死にはさまざまな説があります。

今回紹介したのは秀吉の「秀頼溺愛説」といういちばんメジャーなものでしたが、他にも
”極悪人は実は秀次の方で、とんでもない政治を行っていた暴君だった”
などの説もあります。

近年有力なのは、秀次が高野山へ行ったのは自分の意思だった、切腹も自ら決めて行ったものだ、といった内容のもの。

なかなか興味深い題材であり、議論は尽きませんね。


血塗られた歴史を持ちながらも美しく整備された観光地である京都。

知れば知るほど興味がわく、非常に魅力的な地であります。

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